Search
Calendar
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728   
<< February 2018 >>
Recommend
サウンド・オブ・カラー 地下鉄の恋
サウンド・オブ・カラー 地下鉄の恋 (JUGEMレビュー »)

 堤真一の「地下鉄(メトロ)に乗って」もいいけど、やっぱりトニー・レオンの憎めないトホホ男ぶりはサイコーなのよね!
投信・証券


New Entries
Recent Comment
Recent Trackback
Category
Archives
Profile
Links
Sponsored links
mobile
qrcode
RSSATOM 無料ブログ作成サービス JUGEM
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

posted by: スポンサードリンク | - | | - | - |
ちゃんと言ったもんね、「ありがとう」。
 今日は「昼から来る」と父から聞いていた、お寺の住職さん。
 早起きして溜まった洗濯物片付けて、1階だけでも整理整頓して掃除して(っていうか、余った衣類も本も分類不能の小物も郵便物も一緒くたに段ボールに放り込んで2階に上げただけ…)、昼食を急ぎ作ってたら、いきなり弟夫婦が来ちゃった。しかも「まだ昼飯食べてない」っていうけど、こちらも冷飯余り物解消のためのキムチチャーハンとソーメンしか用意してないし。2人分のチャーハン、すでに中華なべで焦げる寸前だし。
 ちゃんと自宅を出る前に電話で言ってくれりゃー、昼食用意してあげたのにさー!(ーー;)
 気を使った弟が、車で外食してくれた。申し訳ない。母なら「わざわざ外食せんでも、何とでもする!」と4人分作っただろうけど。
 んで2時前から4人で待ってたのに、住職さんぜーーーんぜん来やしない。父はテレビ画面に釘付けだし。
 やっと来てくれたのは4時だぜい。ああ時間の無駄。ちゃんと携帯電話で何時頃になるか連絡してくれなくっちゃー!
 …なんて文句を70代の人には言えませぬ。

 お経の後、痺れた足で膝歩きのようにして何とかお座敷の外へ。お茶の入れ替えと和菓子の進呈。母の命日の3月と似たような会話を父と住職さんが交わして、やっとお開きに。
 今年は住職さんを見送った後、弟夫婦と父の3ショットをデジカメで撮影しましたよ。
 やっぱり父は小さくなっちゃったなぁ…。
 「夕食、どうせだから一緒に食べる?」と聞く前に、弟が「じゃあそろそろ」と席を立ちました。
 ギクシャク、ギクシャク。他人のトニー・レオンより遠い存在なんだよね、もう…。

 後片付けのあとで、やっとPCに取り付きました。
 んで、以前から存在は知ってたけど(どうせ某巨大掲示板だしな…)とあなどっていた、例のスレのこれ、初めて全部読みました。
 http://pya.cc/pyaimg/pimg.php?imgid=6133

 ごめん。独身男性の諸君。あなどって悪かった。
 終わりのほう、涙でディスプレイ見えなくなっちったよ。
 うちの弟の書き込みかっとか、途中で思っちゃった。(あの子は掲示板書き込みなんかしないタイプだけどさ)
 
 
 うちはちゃんと、ありがとうは言ったぞ。
 テーマソングは松任谷由実の「春が来た」だった。病院からいったん自宅に戻り、葬祭会館に向かう弟の車の中で、「春が来た」がかかってたから。
 3月、洗濯物を受け取ってホスピスから帰るとき、青空に向かいふくらみつつある桜のつぼみを仰ぎながら(ああ、もう少しで咲き出すのに、春が来るのに、母はもう満開の桜は見られないんだ)と途方にくれる思いをしたから。
 ホスピスでは芋ようかんどころか、腹が膨れてガン細胞がカチカチに固まって重くなって変形した母は、病院食が喉を通らないからとオレンジゼリーを「食べろ、食べろ」と押し付けてくれちゃったけどね。
 亡くなったのも、早朝だった。それも月曜の朝。だから土日曜、付き添っていられた。そんな配慮までするなんて、寂しがりやで気を使いすぎる母らしかったよ全く。
 土曜はまだ意識があって、”身体のだるさを取る注射”をしたら口が利けなくなるかもしれないのに自分の意志で承諾して、その後に来た父や弟や九州から飛んできた叔母の姿見て、涙にじませてた。
 日曜の夜明けには肩で息をして、本当に苦しそうだった。身体の全機能を使ってかろうじて呼吸を続けてるって感じだった。でも父と弟が駆けつけるまで、何とか持ちこたえた。看護婦さんに「声は聞こえますから、呼びかけてあげてください」と言われて夢中で叫んだ。「おかあさん、ありがとね。いろいろ本当にありがとうね。もう大丈夫だよ、ちゃんとみんな傍にいるよ、お母さんのこと見送ってるから。一人ぼっちじゃないよ。楽になっていいよ、よくこらえたね、偉いよおかあさん!」って。腕をさすって。

 葬式後に父が母の手紙を配ってくれたのも同じだけど、そんな名文じゃなくて、すっごく平凡な、杓子定規の、建て前だけの薄っぺらい、借り物ばっかりの文章だった……_| ̄|○。(どんな忘れられない言葉を残してくれるのかと思ったら…悪いけどお母さんって、文才ないよ…)と泣き笑いした。
 母親が行きたがってたのは夏の北海道じゃなくて、フランスのルルドの泉だった。家族旅行じゃなくて、新興宗教?の教祖様らとのツアーで。
 もう家族との軋轢に疲れて、心の拠りどころを家族じゃなくて宗教に、奇跡に求めようとしてるんだなと感じてた。
 でもでもでもでも。
 そんな風には割り切ってなかったんだな、と後になって気づいた。

 あの頃、出入りしている掲示板があったら、nancixも書き込んでたかな。
 お盆なので、久しぶりに記憶を再生してみたよ。
 ところで仏間に飾った遺影が、父の寝煙草のせいか黄ばんで退色してきたみたいなんだけど(泣)、これ何とかなりませんかね…?
 スキャナーで複写して、Lサイズ判のデータなら残してあるんだけど。
posted by: nancix | 日々のこと。 | 19:19 | comments(5) | trackbacks(1) |
スポンサーサイト
posted by: スポンサードリンク | - | 19:19 | - | - |
私は父が死んだときは突然逝ってしまったので、「ありがとう」を言う間もなかったです。

「おかあさん、ありがとね。いろいろ本当にありがとうね。もう大丈夫だよ、ちゃんとみんな傍にいるよ、お母さんのこと見送ってるから。一人ぼっちじゃないよ。楽になっていいよ、よくこらえたね、偉いよおかあさん!」

自分の娘にこんなことを言われたら、とってもとってもシアワセで生きてきてよかったと思うでしょうね。
お母様、シアワセですね。

ちょっとウルルンしてしまった私でした。
| じゅじゅ | 2004/08/14 8:20 PM |
僕の父は生前から心臓が悪く、本人も周囲も「いつどんなところで死ぬかわからんなあ」って言ってました。
数年前の2月のある日、たまたま平日休みだった僕のところに父の主治医から電話が入りました。いわく、病院のすぐ近くで自転車に乗っている時に発作をおこして倒れたらしく、発見後運ばれてきたがもう意識が無いと。身内で最初に連絡を受けたのがたまたま僕でした。

亡くなる直前、いろんなことがあって父に対して僕ら兄弟は少し強く当たっていました。そうさせた原因は母。母をもっと大事にして欲しかったんです。そういうこともあったし、突然だったし、ほんとに改めて父に対して「ありがとう」っていう間なんてありませんでした。
今思えば、あの頃父は父で戸惑っていたと思います。それを思えば、悪いことしたなっていまだに反省することが良くあります。でも、父に対してはすごく感謝してるしある意味では尊敬しているし、うらやましい人生だったなあと思うこともよくある。

父とお別れする時にありがとうって言えなかった。でも、それまでには言えてたし、今も心の中では言ってる。それを聞いて、多分父ははにかみながら「うん。」とかなんとか言ってるんだろうなあ。

nancixさん、きっと今でもありがとうは伝わるはずですよね。
| ish | 2004/08/14 9:13 PM |
nancixさん今晩は。いつもROMさせていただいています。
此方には、はじめて書き込ませていただきます。

私には、もう両親とも居りませんが(正直、nancixさんよりかなり年上なので・・)私が22歳で母が、26歳で父が亡くなりました。私が18歳のとき父が脳出血で倒れ、後遺症と父の不安・依存の為、他者の介護の交代も利かず、看病疲れで肝臓を悪くし結果的に、言語障害・寝たきりの父を残して亡くなることとなりました。自宅に居る父の介護も有、兄弟妹で手分けして母の元にも通いましたが・・父の事が心配な母は、気丈に「自分のことより父の事を」と、直ぐに私たちに家に戻るように言いました。危篤状態になった時は、仕事中でした。直ぐに駆けつけたのですが、意識のない中残す父のことをずっと呼んでいました。

母にとって、父が心残りで、自分は我慢に我慢を重ねていたのです。本当なら自分が一緒に連れて逝きたいと思っていたのかも知れないと思いました。

nancixさんのお母様はに皆さんに見守られ、「ありがとう・・・えらいよお母さん」と、そして、最愛の娘さんに腕をさすって貰い。苦しさや残すことの思いの中にも、安心もあったのではなかったのでしょうか。

父が亡くなるときは、母にしてあげられなかった分、出来る限りの事はしたと思っています。

あのころの自分に、時間も、仕事も、なにより母を思いやる気持ちが・・その余裕が有ったならと、時々思うことがあります。
14日は、実家に行きお線香をあげて来ました。生前親孝行出来ませんでしたので、今家族が健康に暮らせる事で、せめてもの親孝行と思っています。

| みの虫 | 2004/08/15 1:27 AM |
先ほど、長々と書いたのに、肝心な事抜けていました。「ありがとう」は、最後の化粧をしたときに確かに言いました。
| みの虫 | 2004/08/15 1:38 AM |
 みなさんにいろいろ思い出させちゃいましたねー…m(__)m。
 お盆だし、悲しみやしんみり感を心の中から取り出すのもお供養になりますかね。
 逆縁だと、こうして思い出して語り伝える者が少なくなるんですよね。うんうん、みなさん、親の代より長生きしちゃって語り部になりましょ。人間の「第2の死」は、周囲の人に忘れ去られることだっていうし、高齢になればなるほど、死ぬ時苦しまずに、すうっと息を引き取れるんだって。
 シワだらけのクシャクシャ笑顔の、縮んだお婆さんになるまで、いろんな想い出を抱えこんでいくぞーーー! 
| nancix | 2004/08/15 6:12 AM |









この記事のトラックバックURL
http://nancix.jugem.cc/trackback/214
トラックバック
2004/08/17 11:01 PM
早く家に帰り、何の意味もなくブログを巡り巡っていたら2ちゃんにたどりついた。 正確には2ちゃんの記録か。 http://pya.cc/pyaimg/pimg.php?imgid=6133 FLASHで作り込まれてて、BGMまで入ってて、 「いいのかよ勝手にに曲使って」とか思ってたら、 ・・・号泣 こんな
Chitose Web